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錦州爆撃
1931年(昭和6年)10月8日、関東軍の爆撃機12機が、石原の作戦指導のもと遼寧省錦州を空襲した(錦州爆撃)。
錦州には、奉天を放棄した張学良が拠点を移していた。
南次郎陸軍大臣は、若槻禮次郎首相に「中国軍の対空砲火を受けたため、止むを得ず取った自衛行為」と報告した。
しかし、関東軍は「張学良は錦州に多数の兵力を集結させており、放置すれば日本の権益が侵害される恐れが強い。
満蒙問題を速やかに解決するため、錦州政権を駆逐する必要がある」と公式発表し、自衛行為という見方を自ら否定した。
これによって、幣原の国際協調主義外交は決定的ダメージを受けることとなった。
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