海難事故年表・・・<1990年代 >

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更新日 : 2010/3/31

海難事故年表・・・<1990年代 >


1990年代
1991年8月、ギリシャ船籍のクルーズ客船、オシアノス(14,000t)が防水設備の修理を終えないまま出航、南アフリカ東海岸沖で沈没した。乗客を残して先に逃げた乗員の対応が非難を浴びる。全員無事。
1991年12月、日本からグアムを目指すヨットレース『トーヨコカップ・ジャパン→グアム・ヨットレース’92』に参加していた「たか」が29日に悪天候の為に沈没した。乗員7名のうち6名がゴムボートで脱出したが、わずかな食料しかなかったため、漂流から27日目の1992年1月25日に発見されたときには生存者は1名だけであった。生存していた彼は後に『たった一人の生還』(新潮文庫)の題名で手記を出版している。また同レースに参加していた「マリンマリン」も同様に沈没し8名が死亡しており、参加9隻のうち2隻が沈没し14名が死亡する日本のヨットレース最悪の惨事になった。(トーヨコカップ・ジャパン→グアム・ヨットレース遭難事故)
1993年1月13日:タンカー(英国船籍:ブレア社(英国)所有)、英国のシェットランド諸島沿岸にて暴風雨の直撃を受け転覆。乗員全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊、沈没、重油流出。
1994年9月28日:スウェーデン船籍フェリー「エストニア号」(21794t)がバルト海で荒天下に転覆、沈没。852人死亡。
1994年11月30日:客船アキレ・ラウロ号が火災を起こし、3日後に沈没(アキレ・ラウロ号事件)。
1997年1月2日:ロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」が波浪により船体を破断し、6,240キロリットルのC重油が海上に流出、日本海沿岸各地の広い範囲に深刻な汚染。船長が死亡、乗組員は脱出。除去作業にあたったボランティアに5名の死者を出す二次被害。(ナホトカ号重油流出事故)
1998年9月19日:マニラ-セブ島の定期航路「PRINCESS OF THE ORIENT」(13,599総トン、Sulpicio Lines(フィリピン)所有、元・ブルーハイウェイライン「さんふらわあ11」)が台風7号の嵐の中を航行中に沈没し、死者51名、行方不明者216名を出した。直接の沈没原因は荷崩れであったが、フィリピンでの大幅なデッキ増設工事により船体が不安定になっていたとも云われる。
1999年5月21日:クルーズ客船「サン・ビスタ」がマラッカ海峡で機関室からの失火が原因で沈没。速やかな避難誘導が行われたため犠牲者は無し。このことが原因で運航していたクルーズ会社は倒産した。




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