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1940年代
1942年2月9日、ニューヨーク港で軍の徴用に向けて改装中だったノルマンディーが火災を起こし、
消火時の放水で浸水したことにより転覆。船体が巨大であったこと、
狭い埠頭で転覆したことから上部構造物を全て撤去して引き上げたが、結局第二次世界大戦後に解体された。
1942年5月12日:東亜海運客船長崎丸上海から長崎港外に到着し、附近の哨戒艦と連絡のため、指定航路を僅かに外れた時、
日本海軍の機雷に触れ沈没。死者13名、行方不明者26名。生き延びてしまった菅源三郎船長の切腹と言う壮絶な結末で有名な海難事故。
1944年6月13日:伊予灘で試験潜行中の伊号第33潜水艦が浸水し沈没、死者102名。8年後に引き上げられた。
1944年12月:アメリカ第三艦隊がフィリピン沖で台風の暴風に遭い、駆逐艦数隻が沈没、多数の艦載機が失われ、
800人以上が死亡する大惨事となった。
1945年3月6日 青森港内にて青函連絡船の第五青函丸が折からの暴風に煽られ防波堤に接触し浸水、沈没した。
死者・行方不明者82名。戦時設計のため二重船底が廃止された上に外板が薄く設計されていたこと、
重心が高かったことなどが沈没の要因としてあげられる。
1948年1月28日:阪神〜多度津航路の女王丸が瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れ沈没。死者行方不明183人。(女王丸事件)
第二次世界大戦時
1944年8月22日:児童疎開船「対馬丸」米潜水艦の雷撃により沈没。疎開児童708名を含む1484名が死亡。
1944年9月18日:捕虜交換船「順陽丸」英潜水艦の雷撃により沈没。連合国軍の捕虜など約5620名が死亡。
1945年1月30日:バルト海にてソ連潜水艦の雷撃によりドイツ客船「ヴィルヘルム・グストロフ号」沈没。
乗船していた難民など9331名が死亡。
1945年2月10日:ドイツ客船「シュトイベン号」、ソ連潜水艦の雷撃により沈没。難民など4500名が死亡。
1945年4月1日:阿波丸事件。安全航行を保障されていた緑十字船阿波丸が台湾海峡にて米潜水艦により撃沈される。
乗客2000名以上が死亡。阿波丸は協定に違反して戦略物資を積み込んでいたことが明らかになっている。
1945年4月16日:ドイツ客船「ゴヤ」、ソ連潜水艦の雷撃により沈没。難民など6666名が死亡。
1945年5月3日:ドイツ客船「カップ・アルコナ」、英空軍の空襲により沈没。5594名が死亡。
強制収容所の収容者が多く犠牲となった。
1945年7月29日:米重巡洋艦「インディアナポリス」、日本潜水艦伊58の雷撃により沈没。
米海軍は同艦沈没の事実を人為的ミスによって丸四日間気付かず、乗員1196人中、880名が死亡した。
同艦は広島へ投下された原子爆弾の輸送任務を終えた直後だった。
生き残ったマクヴェイ艦長は軍法会議にかけられ有罪となり、1968年に自殺している。
この事件は海軍の真相隠蔽疑惑と、マクヴェイ艦長の名誉回復を巡って今も論争が続いている。
1945年8月22日:樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」・「第二新興丸」・「泰東丸」が停船命令に従わず、
ソ連潜水艦(L-12、L-19)の雷撃・砲撃を受け大破・沈没。1700名以上が死亡。犠牲者の大半は民間人だったという。
なお、第二新興丸の反撃により、ソ連潜水艦(L-19)も一隻が沈没している。
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