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1950年代
1952年9月24日:当時活発な活動を繰り返していた海底火山・明神礁の調査に向かった海上保安庁の測量船「第五海洋丸」が、
明神礁付近で調査を行っている際に突如発生した海底火山噴火に巻き込まれ、沈没。
船長以下乗組員22人と学術調査員9名の31人全員が死亡した。
1954年3月1日:マグロ漁船第五福竜丸がビキニ環礁で被爆。乗員が死の灰を浴び、1名死亡。
1954年9月26日:青函連絡船洞爺丸、台風15号(洞爺丸台風)の暴風により転覆・沈没(洞爺丸事故)。
乗員乗客1155名が死亡。またこの他に第十一青函丸・北見丸・日高丸・十勝丸も沈没。278名が死亡している。
これは国鉄戦後五大事故の一つになっている。
1955年5月11日:いずれも宇高連絡船である紫雲丸(貨客船)と第3宇高丸(貨物船)が濃霧の中で衝突し、紫雲丸が沈没。
死者166人、負傷者122人。これも国鉄戦後五大事故の一つに数えられる。(紫雲丸事故)
1956年7月25日:イタリア客船「アンドレア・ドリア号」(29083t)と、スウェーデン客船「ストックホルム号」
(25000t)が濃霧の中で双方ともレーダーを過信し、20ノットの高速で航行中に北大西洋・ナンタケット島沖で衝突。
アンドレア・ドリア号は沈没し、双方で55人死亡。
1957年4月12日:瀬戸内海の定期客船であった第5北川丸が、定員の3倍超の乗客を乗せ生口島瀬戸田港から尾道港に向け出航したところ、
途中の暗礁に座礁・転覆し、死者・行方不明113名を出す惨事になった。
海難審判では船長の職務上の過失に加え、運航会社による管理が不適当であったとされた(第五北川丸沈没事故)。
1958年1月26日:紀阿連絡航路の旅客船「南海丸」が和歌山市に向け徳島県小松島市から出航したところ、
悪天候に遭遇したため紀伊水道沼島沖で沈没。乗員乗客167名全員が死亡・行方不明になった。
沈没までの詳細な過程は生存者がいないため不明である。(南海丸遭難事故)
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