火災の年表(日本1980-2008)・・・<ホテルニュージャパン火災>

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更新日 : 2010/3/31

火災の年表(日本1980-2008)・・・<ホテルニュージャパン火災>


1982年2月8日 - ホテルニュージャパン火災。死者32名。

ホテルニュージャパン火災(ホテルニュージャパンかさい)とは
1982年2月8日に東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで起こった火災。33人の死者を出した。

1982年2月8日に火災が発生。
主に火元の9階と10階が中心に燃え、炎は軽微な焼損も含めると下は5階にまで達しており、上部階だけでなく下部階にも延焼していったことが判明。

ホテルの宿泊客を中心に死者33名(台湾人12、日本人11、韓国人8、アメリカ人1、イギリス人1)・負傷者34名を出す大惨事となった。
廊下での焼死など火災による死者が多かったが、有害ガスを含んだ煙から逃れる為に窓から飛び降りて命を落とした人も13人いた。
なお、9階と10階の生存者の中には火災で非常口からの避難が出来ず、シーツをロープ替わりにして窓から下の階へ避難した人もいた。

延焼範囲が広がった原因は、度重なる消防当局の指導にも拘らずホテルニュージャパン側が改善しなかったスプリンクラー等の消火設備の不備・火災報知機の故障やホテル館内放送設備の故障および使用方法の誤り・客室壁内部の空洞施工・宿直ホテル従業員の少なさ・ホテル従業員の教育不足による初動対応の不備・客室内の防火環境不備(可燃材による内装など)といった複合的要素による火災だったという調査が発表された。

この火災では現地時間午前3時24分ごろ出火[6]、12時36分の鎮火まで、およそ9時間にわたり乾燥注意報(当時は異常乾燥注意報)発令中の都心を真っ赤に染めるように燃え続けた。この日の宿泊客は442人。
うち9階と10階に宿泊していたのは103人で、この多くは台湾や韓国からの札幌雪祭りツアー(61人)の宿泊者だった。

東京消防庁では、第一報となる3時39分のタクシー運転手からの119番通報を受け、消防車等21台、救急車1台を出場させたが、上階が激しく延焼し、要救助者が多数発生しているという現場からの報告を受けて矢継ぎ早に部隊を増強、午前4時2分には最高ランクの出場態勢である「火災第4出場」を発令、さらに基本運用規程外の応援部隊を出場させる「増強特命出場」と、多数の負傷者に対応するための「救急特別第2出場」をあわせて、はしご車12台を始めとする消防隊101隊、救急隊22隊の計123隊を投入、消防総監が現場最高指揮を執るという、全庁を挙げての消火活動を行った。

また、この火災が起きた翌朝に日本航空350便墜落事故が発生し、相次ぐ惨事に東京消防庁やマスコミは対応に追われた。

これらホテルニュージャパン火災における数々の違法運営により、オーナー社長の横井英樹は業務上過失致死傷罪で禁錮3年の実刑判決を受ける。

横井社長は火災発生現場で報道陣に対して拡声器で「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」
などと現場の状況を全く読んでいない、緊張感のない発言をしたことに加え、「悪いのは火元となった宿泊客だ」と宿泊客に責任転嫁するコメントを発言したりした。

また火災当時、人命救助よりもホテル内の高級家具の運び出しを指示したとされる。
このような対応が国民からの厳しい非難を呼んだ。



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